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樋口一葉「たけくらべ」4

夫れはお前が嫌やだといふのも知れてるけれども何卒我れの肩を持つて、横町組の恥をすすぐのだから、ね、おい、本家本元の唱歌だなんて威張りおる正太郎を取ちめて呉れないか、我れが私立の寐ぼけ生徒といはれればお前の事も同然だから、後生だ、どうぞ、助けると思つて大萬燈を振廻しておくれ、己れは心から底から口惜しくつて、今度負けたら長吉の立端は無いと無茶にくやしがつて大幅の肩をゆすりぬ。だつて僕は弱いもの。弱くても宜いよ。萬燈は振廻せないよ。振廻さなくても宜いよ。僕が這入ると負けるが宜いかへ。負けても宜いのさ、夫れは仕方が無いと諦めるから、お前は何も爲ないで宜いから唯横町の組だといふ名で、威張つてさへ呉れると豪氣に人氣がつくからね、己れは此樣な無學漢だのにお前は學が出來るからね、向ふの奴が漢語か何かで冷語でも言つたら、此方も漢語で仕かへしておくれ、ああ好い心持ださつぱりしたお前が承知をしてくれれば最う千人力だ、信さん有がたうと常に無い優しき言葉も出るものなり。
 一人は三尺帶に突かけ草履の仕事師の息子、一人はかわ色金巾の羽織に紫の兵子帶といふ坊樣仕立、思ふ事はうらはらに、話しは常に喰ひ違ひがちなれど、長吉は我が門前に産聲を揚げしものと大和尚夫婦が贔屓もあり、同じ學校へかよへば私立私立とけなされるも心わるきに、元來愛敬のなき長吉なれば心から味方につく者もなき憐れさ、先方は町内の若衆どもまで尻押をして、ひがみでは無し長吉が負けを取る事罪は田中屋がたに少なからず、見かけて頼まれし義理としても嫌やとは言ひかねて信如、夫れではお前の組に成るさ、成るといつたら嘘は無いが、成るべく喧嘩は爲ぬ方が勝だよ、いよいよ先方が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郎位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀を取出して見すれば、よく利れそうだねへと覗き込む長吉が顏、あぶなし此物を振廻してなる事か。

   三

 解かば足にもとどくべき毛髮を、根あがりに堅くつめて前髮大きく髷おもたげの、赭熊といふ名は恐ろしけれど、此髷を此頃の流行とて良家の令孃も遊ばさるるぞかし、色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてては美人の鑑に遠けれど、物いふ聲の細く清しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々したるは快き物なり、