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樋口一葉「たけくらべ」16

店先に腰をかけて往來を眺めし湯がへりの美登利、はらりと下る前髮の毛を黄楊のびんぐしにちやつと掻きあげて、伯母さんあの太夫さん呼んで來ませうとて、はたはた驅けよつて袂にすがり、投げ入れし一品を誰れにも笑つて告げざりしが好みの明烏さらりと唄はせて、又御贔負をの嬌音これたやすくは買ひがたし、彼れが子供の処業かと寄集りし人舌を卷いて太夫よりは美登利の顏を眺めぬ、伊達には通るほどの藝人を此處にせき止めて、三味の音、笛の音、太皷の音、うたはせて舞はせて人の爲ぬ事して見たいと折ふし正太にささやいて聞かせれば、驚いて呆れて己らは嫌やだな。

   九

 如是我聞、佛説阿彌陀經、聲は松風に和して心のちりも吹拂はるべき御寺樣の庫裏より生魚あぶる烟なびきて、卵塔場に嬰兒の襁褓ほしたるなど、お宗旨によりて構ひなき事なれども、法師を木のはしと心得たる目よりは、そぞろに腥く覺ゆるぞかし、龍華寺の大和尚身代と共に肥へ太りたる腹なり如何にも美事に、色つやの好きこと如何なる賞め言葉を參らせたらばよかるべき、櫻色にもあらず、緋桃の花でもなし、剃りたてたる頭より顏より首筋にいたるまで銅色の照りに一點のにごりも無く、白髮もまじる太き眉をあげて心まかせの大笑ひなさるる時は、本堂の如來さま驚きて臺座より轉び落給はんかと危ぶまるるやうなり、御新造はいまだ四十の上を幾らも越さで、色白に髮の毛薄く、丸髷も小さく結ひて見ぐるしからぬまでの人がら、參詣人へも愛想よく門前の花屋が口惡る嬶も兎角の蔭口を言はぬを見れば、着ふるしの裕衣、總菜のお殘りなどおのづからの御恩も蒙るなるべし、もとは檀家の一人成しが早くに良人を失なひて寄る邊なき身の暫時ここにお針やとひ同樣、口さへ濡らさせて下さらばとて洗ひ濯ぎよりはじめてお菜ごしらへは素よりの事、墓場の掃除に男衆の手を助くるまで働けば、和尚さま經濟より割出しての御ふ憫かかり、年は二十から違うて見ともなき事は女も心得ながら、行き處なき身なれば結句よき死場處と人目を恥ぢぬやうに成りけり、にがにがしき事なれども女の心だて惡るからねば檀家の者も左のみは咎めず、總領の花といふを懷胎し頃、檀家の中にも世話好きの名ある坂本の油屋が隱居さま仲人といふも異な物なれど進めたてて表向きのものにしける、信如も此人の腹より生れて男女二人の同胞、